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ブルゴーニュ公国について、もう少し詳しく紹介していきたいと思います。
ブルゴーニュ公国の繁栄とディジョン・マスタードの贅沢な宴
ブルゴーニュ公国は「もう一つのフランス」だった?
ブルゴーニュ公国(1363年~1477年)は、単なるフランスの一地方ではなく、ヨーロッパ屈指の強国として君臨していました。全盛期には、現在のフランス東部(ブルゴーニュ地方)だけでなく、フランドル(現在のベルギー・オランダの一部)、ルクセンブルク、アルザス、さらにはドイツ西部まで領土を拡大し、フランス王国と神聖ローマ帝国に匹敵するほどの力を持っていました。
特に、フィリップ豪胆公(Philippe le Hardi)、ジャン無畏公(Jean sans Peur)、フィリップ善良公(Philippe le Bon)、シャルル突進公(Charles le Téméraire)の統治下で、ブルゴーニュ公国は経済・文化の黄金時代を迎えます。Dijonはこの繁栄の中心地として、公宮殿や壮麗な建築が次々と築かれました。
ディジョン・マスタードは王侯貴族の象徴だった?
今ではスーパーで気軽に買えるディジョン・マスタードですが、中世では超高級品でした。当時のフランスではスパイス類が非常に貴重で、特にマスタードは「庶民には手の届かない贅沢品」とされていました。
ブルゴーニュ公国の宮廷では、豪華な宴会の際にマスタードが大量に使われた記録が残っています。特に有名なのが「一晩の宴でマスタードが樽ごと消費された」という逸話。実際、14世紀において、フィリップ豪胆公が300Lのマスタードをひと晩の宴会で使ってしまったという記録が残っているそうです。
マスタードはただの食材ではなく、富と権力の誇示でもありました。マスタードの強い風味が肉料理の味を引き立てるだけでなく、「贅沢の象徴」として宮廷料理に欠かせなかったのです。
ちなみに、現在のディジョン・・マスタードの特徴である「ワインや果汁で溶いたなめらかな質感」は、18世紀になってから確立されたもの。それ以前はもっと荒削りな味わいで、塩やビネガーを多用していたようです。
ブルゴーニュ公国とフランス王国の対立:夢破れた「大ブルゴーニュ帝国」
ブルゴーニュ公国が最も強大だったのは、フィリップ善良公(在位1419年~1467年)の時代。彼はフランス王国と距離を置き、独自の外交を展開。イングランドとも同盟を結び、「大ブルゴーニュ帝国」構想を掲げました。しかし、その野望は息子のシャルル突進公の時代に頓挫します。
1477年、シャルル突進公はフランス王ルイ11世との戦い(ナンシーの戦い)で戦死し、ブルゴーニュ公国は崩壊。その後、領土はフランス王国とハプスブルク家(神聖ローマ帝国)に分割され、Dijonはフランスの一部となりました。
もしブルゴーニュ公国が存続していたら、現在のフランスやヨーロッパの地図は大きく異なっていたかもしれません。
Dijonの街並みに残るブルゴーニュ公国の栄光
現在のDijonには、かつてのブルゴーニュ公国の栄華を感じさせる建築や文化が今も残っています。
この記事の1ページ目で書いた駆け足スポットに順じますが、
- ブルゴーニュ公宮殿(Palais des Ducs de Bourgogne)
かつての公宮殿で、現在はディジョン美術館が入る歴史的建造物。中庭に立つと、中世の権力の中心地だったことが実感できます。 - フィリップ善良公の塔(Tour Philippe le Bon)
15世紀に建てられた塔で、ディジョンの街を一望できる。かつては宮廷の監視塔でもあり、ブルゴーニュ公国の軍事的な側面も垣間見えます。 - リベラシオン広場(Place de la Libération)
公宮殿の前に広がる半円形の美しい広場で、かつて宮廷の行事が行われた場所。現在はカフェが並び、市民の憩いの場になっています。 - ディジョンのフクロウ(La Chouette de Dijon)
ディジョンの守護のシンボルとされるフクロウの彫刻。左手で触ると願いが叶うと言われ、中世から続く言い伝えが今も生きています。
Dijonは「歴史の香る美食の街」
Dijon、実はフランスの歴史を語るうえで欠かせない重要な都市です。
かつてブルゴーニュ公国の首都としてヨーロッパ屈指の繁栄を誇り、高級品だったマスタードを惜しみなく使う宮廷文化があったことは驚きです。
歴史的な建築と美食、そして過去の栄光の面影が残るDijonは、ただの地方都市ではなく「かつての王国の名残を感じる街」。今回の訪問では駆け足でしたが、次回はぜひじっくりと街を歩きながら、ブルゴーニュ公国の歴史に思いを馳せたいと思います。